根拠って必要ですか?
こんにちは、クレドです。
一時期、「エビデンス」という言葉が流行しました。
その後、いたるところで、「エビデンスは?」、「エビデンスに基づく発言を」などと盛んに言われるようになりました。
もともと、エビデンスは限られた分野で用いられている語句だったのですが、今や、広く「根拠・信頼性」という用い方をする人が増えてきたように思います。
この「根拠・信頼性」について、今回は述べたいと思います。
根拠がなければ信頼できない
確かに、基本的には、根拠のない発言、主張に説得力はありませんね。
例えば、「この水を飲めば、足が速くなります。だから、1ℓ3万円です!」と言われた場合。
どうでしょうか?
胡散臭いですよね。
「何が入ってるの?怪しいものを使っているのでは?」
「それで、実際に速くなった人はどれくらいいるの?一人では信用できないな。10人、100人単位でないと」
となるでしょう。
また、スーパーに、「ダイヤモンドパパイヤ!1個12000円」とあったらどうでしょうか?
ダイヤモンドから「輝く」、「高級」を連想するでしょうが、その後「なぜ高級なの?」、「どこでとれたの?」、「希少性は?」、「味は?」などと考えると思います。
これらは一例ですが、やはり、「根拠」がなければ信用などできません。
根拠がいらないこともある
さて、根拠は必要ですね。
ただ、例外もあると思います!
例えば、「自信をもつこと」に関して。
この件に関して根拠が必要であるならば、
「前回の模試で9割とれたから」、
「部活でレギュラーになったから」、
「〇〇に褒められたから」、
という肯定的な経験がベースになってきます。
しかし、現時点で「自分としてはそのような経験がない」と思い込んでしまっている子どもはたくさんいます。大人ですらそうです。
そういう場合、「自信をもつには根拠が必要だよ」と断じてしまうと、どうなるのでしょうか・・・。
追い詰められていくと思います。
自己否定に陥るかもしれません。
さて、自信をもつのに、明確な根拠はいらないのではないでしょうか!?
まず、「自信」は、読んで字の如く「自分を信じる事」と定義づけることもできます。
自分を信じる事に理由なんかいらないではありませんか!
今、生きていること。
この瞬間、悩みつつも生活している、その姿こそ尊いと、私は考えます。
これまで目立った成功体験などがないと思えても、今いる自分を信じても良いのです。
今の自分を信じることで、未来は開けます。
これまでは、もう終わったこと。
今の自分を信じ、認め、進むこと。
それが、未来を創っていきます。
自分を信じるとは、「今ならこれができる」、「〇〇のために、今、これならできる。自分ならできる」と信じることに他ならないように思います。
ただただ、この世に存在する自分を信じて、今を精一杯に生きてみる。
そこから、事態は動いていくように思います。
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